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【圓福寺の紹介】http://www.enpukuji.net/profile.html
円福寺(えんぷくじ)の歴史は、建長三年(1251)浄土宗の西山深草派祖(せいざんふかくさはそ)円空上人が京都深草の里に真宗院(しんじゅいん)を建立したことに始まります。円空上人は、法然上人の孫弟子に当たり、師匠西山(せいざん)上人から法然上人の教えを正しく受け継いだ方です。
徳治元年(1306)時の花園天皇より「円福寺」の寺号、および勅願所の綸旨と荘園を賜り、浄土宗西山深草派の根本道場が確立されました。
円福寺第三世堯恵(ぎょうえ)上人は、他宗派からもその講義を聴聞に来るほどの優れた学者で、数多くの門弟を育てました。中でも岡崎市中山の法蔵寺開山・龍芸(りゅうげい)上人は、同朋門下あわせて五十余名を率いて三河国にお念仏を広めた功労者です。現在では三河地方にその流れを汲む寺院が二百ヶ寺ほどあります。
寛文十二年(1673)円福寺中興三十世徹翁(てつおう)上人は、朝廷より常紫衣の勅許を受けました。
元禄十二年(1701)勧修寺門跡二品法親王による「円福寺」の扁額が下賜されました。これは現在も本堂内殿に掲げられています。
明治維新の際、政府の廃仏毀釈令により、広い境内地のほとんどが没収され、円福寺は本山としての様相を失ってしまいました。(現在の京都、新京極、寺町京極の約三分の一に相当します。わずかに円福寺町という町名のみ残っています)
明治十六年(1863)廓空(かっくう)上人が第六十三世特命住職となり、宗派を挙げての協議の結果、檀信徒の多い三河地方に移転する話が持ち上がりました。南本山円福寺は、岡崎市岩津の妙心寺と寺号を交換することになったのです。妙心寺は寛正二年(1462)徳川家の祖といわれる松平信光公(徳川家康より六代前の祖先)が建立した寺院で山門(総門)には葵の紋があります。 奥には大梵鐘が吊されている鐘楼門も見え、前庭の大楠の葉も見えます。 その奥に見えるのは本堂で、安永九年(1780)の建立です。
電車・バスでお越しの方
・名鉄東岡崎駅→三河上郷・東名岩津・奥殿陣屋・足助行き「岩津天神口」下車(約25分)お車でお越しの方
・豊田インターより 約20分